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2026.11.02 / kazuto

電子レンジの中では、何が起きる? ― 複素誘電率から発熱密度を導く【レベル3:理論でつなぐ】

鍋とIH調理器、電子レンジが並ぶ明るいキッチン。

[mathjax]

探究レベル3:理論でつなぐ

前提知識:大学の電磁気学(電場・分極・複素数表示)、積分、時間平均。SI単位系を用います。

この記事の到達目標:誘電率の虚部が吸収に対応する理由を説明し、\(\frac12\omega\varepsilon_0\varepsilon_r”|E_0|^2\) を導出できる。

マイクロ波が「水分子を動かす」だけでは、どの程度加熱されるかは決まりません。加熱に重要なのは、電場に対する物質の応答の遅れです。ここでは局所的に一様な、線形・等方・非磁性の誘電体を考え、電磁波から物質へ移る仕事率を求めます。

1.電場と分極を複素振幅で書く

物理量の時間依存性を \(e^{+i\omega t}\) と約束し、実数の電場を \(\mathbf E(t)=\mathrm{Re}[\mathbf E_0 e^{i\omega t}]\) と表します。電束密度 \(\mathbf D=\varepsilon_0\mathbf E+\mathbf P\) に対し、線形応答を周波数空間で

\[\mathbf D_0=\varepsilon_0\varepsilon_r^*(\omega)\mathbf E_0,\qquad \varepsilon_r^*=\varepsilon_r’-i\varepsilon_r”\]

と定義します。ここで \(\varepsilon_r’\) は相対誘電率の実部、\(\varepsilon_r”\ge0\) は誘電損失係数です。符号に注意してください。時間依存を \(e^{-i\omega t}\) に選ぶ文献では、受動媒質の虚部の符号が逆になります。

2.なぜ虚部が加熱を表すのか

分極電流密度は \(\mathbf J_{\mathrm p}=\partial\mathbf P/\partial t\) です。その複素振幅は \(\mathbf J_{\mathrm p,0}=i\omega\varepsilon_0(\varepsilon_r^*-1)\mathbf E_0\)。電流が電場から受ける単位体積あたりの瞬間的な仕事率は \(q(t)=\mathbf J_{\mathrm p}(t)\cdot\mathbf E(t)\) です。1周期平均には、複素振幅について成り立つ恒等式

\[\langle\mathrm{Re}(Ae^{i\omega t})\,\mathrm{Re}(Be^{i\omega t})\rangle=\frac12\mathrm{Re}(AB^*)\]

を用います。このとき

\[\begin{aligned}\bar q&=\frac12\mathrm{Re}\!\left[\mathbf J_{\mathrm p,0}\cdot\mathbf E_0^*\right]\\&=\frac{\omega\varepsilon_0}{2}\mathrm{Re}\!\left[i(\varepsilon_r’-1-i\varepsilon_r”)\right]|\mathbf E_0|^2\\&=\boxed{\frac12\omega\varepsilon_0\varepsilon_r”|\mathbf E_0|^2}.\end{aligned}\]

\(\mathbf E_0\) はピーク振幅です。実効値 \(E_{\mathrm{rms}}=|\mathbf E_0|/\sqrt2\) を用いれば、同じ式は \(\bar q=\omega\varepsilon_0\varepsilon_r”E_{\mathrm{rms}}^2\) となります。2つの式で係数が違うのは、物理の違いではなく電場の定義の違いです。

単位は \([\omega]=\mathrm{s^{-1}}\)、\([\varepsilon_0]=\mathrm{F/m}\)、\([E^2]=\mathrm{V^2/m^2}\) なので、\([\bar q]=\mathrm{W/m^3}\)。熱源の次元に一致します。

3.塩分があるときは、電気伝導も含める

分極損失とは別に導電率 \(\sigma\) のオーム電流 \(\mathbf J_\sigma=\sigma\mathbf E\) が流れるなら、総発熱密度は

\[\bar q=\left(\omega\varepsilon_0\varepsilon_{r,\mathrm{dip}}”+\sigma\right)E_{\mathrm{rms}}^2=\omega\varepsilon_0\varepsilon_{r,\mathrm{eff}}”E_{\mathrm{rms}}^2,\quad \varepsilon_{r,\mathrm{eff}}”=\varepsilon_{r,\mathrm{dip}}”+\frac{\sigma}{\omega\varepsilon_0}.\]

文献によっては \(\varepsilon_r”\) に導電損失をすでに含めているため、\(\sigma E^2\) を二重に足してはいけません。水・塩・脂質などを含む食品では、これらの物性も温度も場所によって異なります。

4.最も簡単な「遅れる分極」の模型:Debye緩和

平衡分極へ戻ろうとする1つの緩和時間 \(\tau\) を導入し、誘電率の周波数応答を

\[\varepsilon_r^*(\omega)=\varepsilon_\infty+\frac{\varepsilon_s-\varepsilon_\infty}{1+i\omega\tau}\]

で近似します。すると分母に \(1-i\omega\tau\) を掛けることで、

\[\varepsilon_r’=\varepsilon_\infty+\frac{\Delta\varepsilon}{1+\omega^2\tau^2},\qquad \varepsilon_r”=\frac{\Delta\varepsilon\,\omega\tau}{1+\omega^2\tau^2},\quad\Delta\varepsilon=\varepsilon_s-\varepsilon_\infty.\]

\(\omega\tau\ll1\) では分極は電場の変化におおむね追従し、損失係数は \(\varepsilon_r”\propto\omega\) です。\(\omega\tau\gg1\) では追従が難しくなり、\(\varepsilon_r”\propto\omega^{-1}\) です。この緩和による損失係数は \(\omega\tau=1\) で最大ですが、「実際の電子レンジの加熱率がその周波数で必ず最大」とは言えません。電場分布や浸透、導電損失も変わるためです。

5.エネルギー保存との関係

Maxwell方程式から得られるPoyntingの定理は、電磁場のエネルギーの減少と、物質へ渡る仕事率の関係を表します。定常な周期駆動を平均すれば、物質へ吸収される電磁場の仕事は、平均エネルギー流の収束と釣り合います。ここで導いた \(\bar q\) はその局所的な吸収率です。ただし吸収したエネルギーが温度上昇にどう変わるかは、別途熱伝導や相変化を考える必要があります。

6.この導出で何を仮定したか

  • 電場は単一の角周波数で、物質の応答は線形・等方的とした。
  • 時間平均を行い、物性が1周期中に変わらないとした。
  • 均一媒質で局所的な発熱率を求めた。庫内の \(\mathbf E(\mathbf r)\) はまだ解いていない。
  • 熱輸送、蒸発、相変化、温度に依存する誘電率は未導入である。
確認問題:なぜ誘電率の実部だけでは発熱を求められない?

電流と電場が完全に位相のずれた、損失のない応答では、1周期に授受する仕事は相殺されます。平均仕事率が正に残るのは、電場と同位相の電流成分を生む損失 \(\varepsilon_r”\) があるためです。

参考文献

電子レンジの問いの概要に戻る / キッチンを探索する

アイキャッチ:QLI「キッチン」のコンセプトイラスト。

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