探究レベル4:専門的に探究する
前提知識:第3段階の散乱断面積、微積分、理想気体・静水圧平衡、スペクトル。放射輸送の変数と単位は本文で定義します。
この記事の到達目標:分子の散乱から観測されるスペクトルまでのモデルを組み立て、数値例を再現し、どの条件で計算が破綻するかを判断できる。
σ ∝ λ⁻⁴だけでは、空の放射輝度や色は決まりません。ここでは、分子の応答 → 散乱係数 → 大気中の減衰 → 散乱光の放射輝度 → 色の三刺激値、という計算の接続を明示します。まず理想的なモデルを作り、実在の大気に使う際に必要な修正を分けます。
1.分極率と屈折率を結ぶ
等方的な分子からなる希薄な気体を仮定します。屈折率nと数密度Nの関係にLorentz–Lorenzの局所場近似を使うと、SI分極率αに対して
(n² − 1)/(n² + 2) = Nα/(3ε₀)
です。第3段階の σ = k⁴|α|²/(6πε₀²) に代入すると、非吸収・等方分子のモデルでは
σiso(λ) = [24π³/(λ⁴N²)] [(n² − 1)/(n² + 2)]²
となります。λは真空波長です。nとNは同じ温度・圧力・組成の条件でそろえます。希薄気体では(n² − 1)/(n² + 2)がNに比例するため、この式にN²があっても、分子1つのσが単純に密度の逆2乗で変わるわけではありません。
実在の空気には分子異方性があります。大気光学で使う式ではKing補正係数FK(λ)を乗じます。Bodhaine et al. (1999)の式(2)における脱偏光比ρの定義では、FK = (6 + 3ρ)/(6 − 7ρ)です。偏光入射・無偏光入射などで脱偏光比の定義が違う文献の数値を、そのまま代入してはいけません。異方性を入れる場合は角度分布・位相行列も整合させます。
2.分子1つの断面積から、大気の光学的厚さへ
位置zでの数密度をN(z)とすると、散乱係数は βR(z,λ) = N(z)σR(λ) です。βRの単位はm⁻¹で、微小な道のりdsで散乱される割合は、一次の近似でβRdsです。
τR(λ) = ∫ βR(z,λ) dz
鉛直光学的厚さτRは無次元です。組成が一様でσが高さによらず、重力加速度gを一定とすると、静水圧平衡 d p/dz = −ρg と ρ = NM/NA から、分子柱密度とτを次のように書けます。
Ncol = psNA/(Mg), τR = σRNcol
psは地表気圧、Mはモル質量(kg/mol)、NAはアボガドロ定数です。これはBodhaine et al.の式(9)に対応する関係です。湿度・組成・gの高さ依存が重要なら、単純化した式ではなく積分へ戻ります。
3.直接光の減衰と、空の明るさを分ける
散乱と吸収を含む消散係数をβextとすると、ある経路の直接光の透過率は exp(−∫βextds) です。平面平行大気で、太陽天頂角θ₀、μ₀ = cos θ₀ > 0とすれば、直接光の透過率は exp(−τext/μ₀) と近似できます。
この式は、直接光から外れる分を記述します。外れた光が他の方向から目に届く効果は含まないため、これだけを空の輝度として使うことはできません。また、μ₀ → 0では経路長が発散し、実際の球面大気の地平線付近を適切に表せません。
4.単一散乱の放射輝度を組み立てる
観測者から空を見る単位方向をvとし、観測者から距離sの点を r(s) = robs + s v とします。その点から観測者へ進む光の方向は−vです。太陽から来る光の進行方向をΩ₀とすると、散乱角は cos Θ = Ω₀·(−v) です。
等方分子・無偏光入射の理想Rayleigh位相関数は
PR(Θ) = (3/4)(1 + cos²Θ), ∫ PR dΩ = 4π
であり、dσ/dΩ = σ PR/(4π)となります。大気上端で、太陽光に垂直な面に入る分光放射照度をF₀,λ、太陽から散乱点までの光学的厚さをtin(s,λ)、散乱点から観測者までをtout(s,λ)とします。地表反射をなくし、太陽の光が1回だけ散乱される成分は
Lλ(v) = ∫ [βR(s,λ) PR(Θ)/(4π)] F₀,λ exp[−tin − tout] ds
です。F₀,λをW m⁻² nm⁻¹で入力すれば、LλはW m⁻² sr⁻¹ nm⁻¹です。βdsは無次元、P/(4π)は単位立体角への配分を表すので、単位も接続します。
光の伝搬方向Ωに沿ったスカラー放射輸送方程式は、熱放射を無視する波長域で次の形です。ここでは、全方向の放射場Lに入射太陽光の成分も含めています。
Ω·∇Lλ(r,Ω) = −βextLλ(r,Ω) + [βs/(4π)] ∫ P(Ω′→Ω)Lλ(r,Ω′) dΩ′
上の単一散乱積分は、右辺の散乱源に減衰した直接太陽光だけを入れた一次の解です。散乱光がもう一度散乱されるなら、全放射場を未知量として解き直します。偏光にはStokesベクトルと散乱位相行列が必要です。実用的な計算系の例として、Emde et al. (2016)のlibRadtran解説論文があります。
5.数値例:550 nmの光学的厚さを再計算する
ここでは式の接続を確かめる等方気体の教材モデルとして、λ = 550 nm、n = 1.000277、N = 2.547 × 10²⁵ m⁻³、FK = 1を採用します。地表気圧101325 Pa、M = 0.02897 kg/mol、g = 9.80665 m/s²です。nとNは約288 Kの標準圧付近を想定した近似値で、精密な実在空気の推定ではありません。
| 量 | このモデルの計算値 |
|---|---|
| α/ε₀ | 約2.175 × 10⁻²⁹ m³ |
| σiso(550 nm) | 約4.275 × 10⁻³¹ m² |
| Ncol | 約2.148 × 10²⁹ m⁻² |
| 鉛直光学的厚さτR | 約0.09181 |
| 天頂角60°での直接光透過率 | exp(−0.09181/0.5) ≈ 0.8323 |
次のPythonコードで再現できます。nmで記述した波長を、断面積の式ではmに直している点を確認してください。
import math
lam = 550e-9 # vacuum wavelength [m]
n = 1.000277
N = 2.547e25 # reference number density [m^-3]
sigma = 24 * math.pi**3 / (lam**4 * N**2)
sigma *= ((n*n - 1) / (n*n + 2))**2 # F_K = 1
column = 101325 * 6.02214076e23 / (0.02897 * 9.80665)
tau = sigma * column
print(sigma, column, tau, math.exp(-tau / 0.5))
透過率0.8323は直接光に対する結果です。空から来る散乱光を除いた条件なので、観測する総光量や空の色を表す数字ではありません。別の波長でも同じnを使えば、それは分散を無視した教材上の仮定です。
6.スペクトルを「見える色」へ変換する
方向vの分光放射輝度Lλが計算できたら、CIEの等色関数で三刺激値を得ます。
X = C∫Lλx̄(λ)dλ, Y = C∫Lλȳ(λ)dλ, Z = C∫Lλz̄(λ)dλ
Cは共通の規格化定数です。色度座標はx = X/(X+Y+Z)、y = Y/(X+Y+Z)。CIEの公式データはCIE 1931・2°標準観測者の等色関数を1 nm間隔で提供しています。数値積分ではスペクトルと等色関数を同じ波長格子へそろえ、Δλを入れます。
ここで初めて、太陽スペクトル、大気中の伝搬、目の色応答が一緒に計算へ入ります。紫が最も散乱されやすいから空も紫になる、といった単一波長の議論では代用できません。XYZから画面のRGBにするには、色空間、白色点、露出、ガンマ変換、表示可能な色の範囲も指定します。ここでは観測スペクトルを入力していないため、実測を装った色度やRGB値は示しません。
7.研究・観測へ進むときに確かめること
- 分子の応答:屈折率の分散、組成、湿度、King補正と位相行列の定義を統一する。
- 幾何:太陽高度・観測方向・高度・球面大気の経路長を指定する。
- 大気:エアロゾル、雲、気体吸収、地表反射、多重散乱を必要に応じて入れる。
- 観測との比較:測器の波長感度、視野、校正、測定時刻をそろえる。写真の色は自動露出やホワイトバランスにも左右される。
確認問題:地表気圧を半分にしたら、何が半分になる?
組成・g・分子1つのσが同じという近似では、鉛直分子柱密度と鉛直Rayleigh光学的厚さが半分になります。直接光の透過率は指数関数なので半分にはなりません。空の放射輝度も、太陽から・観測者までの減衰が変わるため、一般には単純な比例だけでは決まりません。
原典・データと再現条件
- Bodhaine, Wood, Dutton & Slusser (1999), “On Rayleigh Optical Depth Calculations”, J. Atmos. Oceanic Technol. 16, 1854–1861。式(2):断面積・King補正、式(9):気圧と分子柱密度。DOI:10.1175/1520-0426(1999)016<1854:ORODC>2.0.CO;2。
- Emde et al. (2016), “The libRadtran software package for radiative transfer calculations (version 2.0.1)”, Geosci. Model Dev. 9, 1647–1672。DOI:10.5194/gmd-9-1647-2016。
- CIE (2019), CIE 1931標準観測者の等色関数(2°)。DOI:10.25039/CIE.DS.xvudnb9b。
数値例・コード・式の接続はQLIによる教材としての整理です。本文中の数値は明示した仮定からの計算値で、青空の観測値ではありません。
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